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2022.01.23 (Sun)  19:50

〝タケチヨ〟の奇跡

 1月16日は妻の誕生日。

 彼女のリクエストを受けて蒲郡にあるホテルのレストランに夕食の予約をして、「さあ出かける準備をしよう」という時に母(98歳)が入所する施設から一本の電話。

 スタッフと話をしていて、明らかに異常なサイン(酸素飽和値が88)を出している老母に対する施設の処置がまずいと判断した私は、施設の近くでこれまでも時折かかっているトヨタ記念病院への緊急搬送をお願いしました。

 こんな時期(コロナ禍)ですから私ひとりで行くつもりでしたが、〝タケチヨ〟が「僕もおばあちゃんに会いに行く!」妻も「おかあさんに会いたい!」と言ってくれたので、家族三人で病院に駆けつけました。母の入所施設はコロナ感染拡大に伴って面会禁止。会えない日々が続いていたのです。

 私たちは救急車よりも病院に早く着いたので「緊急搬入口」で母の到着を待ちます。

 間もなくして到着した救急車から担架で運び出される祖母の姿を確認した後、緊急処置室へ。

「おふくろ」

 傾眠か昏睡か、その状態は分かりませんでしたが、目をつぶっている母の耳元で声をかけてみました。母は半開きの眼差しで声の主である私を見たものの、それもほんの一瞬で再び眠りに落ちていきます。

「おばあちゃん」

 その時、タケチヨが呼びかけました。するとなんとしたことか。母の目がパッと開き、しかも全開で乙女のような輝きを放っています。

「としくん!」

 息苦しそうではありましたが、母の口から声まで出ました

「よく来てくれたねえ」

 相好を崩すとはまさにこのこと。心の底からの喜びが顔全体に現れています。

「おばあちゃんの手を握ってあげてもいいよ」

 と声をかけると、タケチヨは手を伸ばして母の手をしっかり握ってやります。すると驚いたことに、酸素飽和値が100にまで上がりました。それを見た妻もふたりの看護師も仰天。看護師の一人が思わず〝すっごーい。クスリだね〟と声を上げました。

 それから約30分。病室に運び込まれるまでタケチヨはずっと母の手を握り続け、酸素飽和値も100のままでした。その姿に看護師さんも感心しきり。

 その間に私は医師と面会をしていました。

「入院していただくつもりでしたが、数値も悪くないので施設に帰って頂く選択肢もあります」と医師は言いましたが、〝タケチヨの奇跡〟は長く続くものではないとの変な確信があった私は、入院による経過観察をお願いしました。

 案の定、入院した母はその後酸素飽和値が下がり、発熱。酸素治療を受けるようになりました。肺炎か尿路感染症の可能性もあるので今も病床にあります。昨日電話で主治医から受けた報告では、最悪のケースもあり得るとのことでした。

 「限界かな」と思う一方で、敗戦後、極寒の北朝鮮を乳飲み子を抱えてソ連兵から10か月間逃げまわり、10か月後に帰国した〝鉄の女〟ですから再び奇跡を起こして100歳に到達して欲しいとの望みも捨てきれません。

 

 妻の誕生日の話を付け加えておきます。病院を出たのが午後7時半を過ぎてしまい、蒲郡のホテルでのお祝いはドタキャン。次回に持ち越しになりました。幸いなことに代わりに行った近くのイタリア料理店が料理ももてなしも良かったので妻はとても喜んでくれました。

 それともう一つ付け加えさせていただきます。

 このトヨタ記念病院は、タケチヨが生まれた病院です。しかも、その住所が「平和町一丁目一番地」なのです!

 戦争と平和をテーマに人生を生きる私たち夫婦にとって、愛息がこの地で生まれたことは、送り主は分かりませんが授かりものと思っています。