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第50回 「パレスチナと私②

第49回 「パレスチナと私①

 うちの9歳児は去年から漫画『はだしのゲン』にハマっています。グローバルスタディーズカフェに置いてあった全10巻の1冊目に手を伸ばしてからずっと読み続けています。それも、彼の読書の特徴ですが何回も同じものを読み返します。先週末の東京への旅にも既に何回か読んだ何冊かを持って行きました。

 その姿を見ると、多くの方はさもありなんという反応をされます。我々夫婦のどちらかが薦めたと勘違いされるのです。でも、どちらもそういうことはしません。カフェの本棚にあった10冊を手に取るようになり、自分から読むようになったのです。

 僕はあまり漫画に接してこなかったので、この大作も読んでいません。話題になった本ですからどのような本かは分かっていましたが内容は知りませんでした。例のごとく、この本を読みながら彼の質問攻めが始まった時は、そんなわけで戸惑いました。

「山口組って岡崎にもあるの?」

「若頭は親分とどんな関係?」

 と、質問がヤクザ関係に限定されていたからです。そこから彼の興味が被ばくのもたらした惨状ではなく、「ヤクザ」にあることが見えてきました。

 面白い視点だなと彼の質問に答えることに徹しました。半年読み続けるとヤクザに飽きたのか、今度は警察組織に関心が移りました。それは今も続いており先の東京行きでは、警察博物館に行ってきました。

 

 数ヶ月前のこと。僕がテレビで原爆投下やその後の惨劇を取り上げた番組を観ていると、隣に座りいろいろ質問してきました。すると、質問の中に原爆投下のことが含まれるようになりました。それを見ていたのか、妻の直子が「そろそろ広島に連れて行かない?」と提案しました。

 頃や良しとはこの事。お盆休みには広島方面に出かけることにしました。先週、防災工学者の室崎益輝さんが先週Facebookで原爆死没者追悼平和祈念館を紹介されていました。室崎さんが紹介されている追悼平和祈念館に行くのは当然です。

 だからといって僕の考え方を彼に押し付けるつもりはありません。もちろん連発してくるであろう質問の中に僕の意見を求めるものがあれば答えるつもりですが、基本的には旅で目にするものをどう受け止めるかは彼の自由です。彼が漫画の舞台である町を本を携えて訪れ、祈念館などを見て歩く内にどう見方や考え方が変化していくかを楽しもうと思っています。

 もちろん我々は被災地であった所にお邪魔させていただく立場です。無礼な振る舞いや相手を傷つけかねない発言を慎むように事前に話し合うつもりです。

2023.07.09 (Sun)  10:18

追悼・雨宮剛教授

浅井久仁臣

 7月8日(土)、雨宮剛先生の追悼交流会が都内で開かれました。

 妻・直子の恩師、雨宮剛。

 本当に、この方の存在無くしては、現在の「神直子」はありません。

 

 先の大戦で日本は一気に米軍のいるフィリピンを占領したものの、その後態勢を立て直して攻勢に転じた米軍の前に惨敗。日に日に支配地域を失っていきました。米軍との間で激戦を繰り返すうちに、日本は補給路を絶たれ、窮地に陥った日本兵はありとあらゆる残虐行為を行いました。そして、各地に地獄絵をもたらしたのです。

 当然のことながら、戦後のフィリピンの人たちの反日感情は凄まじいものでした。

 しかしながら、日本が戦後の奇跡の回復を遂げて経済大国の道を歩むようになると、両国関係に大きな変化が生じます。当時の独裁政権が「反日」から「親日」に舵を切ったのです。つまり、進出してくる日本企業や大金を持ち込んでくる日本人観光客に両手を広げて歓迎するよう国民に命じました。

 人々は「生きるため」に複雑な感情を抑えて〝ジャパンマネー〟に群がるようになり、

調子に乗った日本のバカな男たちは大挙して札束を腹巻きに入れて、〝カネはあんぞ買春ツアー〟に出かけていたものです。これは決して大袈裟ではなく、当時の新聞を見ていただければ分かりますが、社会現象にまでなりました。

 当然のことながら、それを良しとしない人たちもたくさんいて、中には日本人観光客や進出企業をターゲットに実力行動に出るグループも出て来ました。

 半世紀も前の話ですが、ミンダナオ島のサンボアンガでモロ民族解放戦線によって日本人の新婚旅行中の夫婦が拉致されました(当時AP通信記者だった僕は現地取材しています)。約10年後の1986年には三井物産の社員が誘拐されています。

 

 一方で、そのような歪んだ両国関係を是正しようと動く人たちもいました。

 その中の一人が雨宮教授でした。学生たちを現地に送り込み、地元民との交流を図らせたのです。前述の三井物産社員の拉致事件の2年後にスタディツアーを始めたと聞き、雨宮教授に生前、

 「学生たちが反政府勢力に拉致される危険性は当然お考えになられましたよね? 対策はどんなことを講じられ、万が一の際はどうされるおつもりだったのですか?」

 と尋ねたことがあります。

 雨宮さんは、

「現地の教会関係などの有力者を通していろいろな手は打っていましたよ。でも、何が起きるか分かりません。ですから、学生たちが拉致されたら、彼らの身代わりになる用意をしていました。また、いつでも大学に出せるように辞表を持ち歩いていましたね」

 とお答えになられました。

 そんな覚悟があったからこそ学生たちに強い影響を与えることができたのだ、とその時僕は納得したことが今も思い起こされます。雨宮さんの蒔いた種は教え子たちによって様々な形で開花され、日比関係の懸け橋構築に寄与していることは間違いありません。

2022.10.22 (Sat)  19:54

「竹千代チャンネル」第4話公開

竹千代チャンネル』の第4話「どうなる?竹千代〜熱田湊〜加藤図書助屋敷跡〜万松寺〜笠寺観音〜安祥城〜西野を巡る」を公開しました。

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