新着情報

2022.05.01 (Sun)  07:33

家康の朝鮮からの撤退命令文書

新発見と再発見.jpg

 豊臣秀吉は大軍を朝鮮半島に送り込んで多くの悲劇を生みました。現代のプーチンどころではない暴挙でした。「何人の命を奪ったか」を競わせ、その証拠として耳や鼻を持ち帰らせました。京都の方広寺にある鼻塚が有名ですよね。

 〝正義なき戦争〟で、しかも食糧や武器・弾薬の補給もなく苦戦を強いられた日本兵は、かの地で狂気の沙汰を繰り広げます。

 殺戮のみならず掠奪(特に人間)も横行し、日本軍が連行した朝鮮人の数は7万5千とも10万とも言われています。当時は人身売買が頻繁に行われており、人間は高価な〝商品〟だったのです。

 日本に連れて来られた朝鮮の子供や若者の多くは東南アジアやヨーロッパに売り飛ばされました。ここにはキリスト教布教を表看板にしたイエズス会が深く関わっていました。聖職者の仮面を被った連中が衝撃的なほど冷酷で、非人道的な性質を持っていたのです。

 その様な惨状を見かねていた徳川家康公は、秀吉の急逝後権力を握ると、直ちに日本軍に停戦を指示、即時撤退を命じたと言われています。

 その証拠となる手紙が発見されたとあります。来週にでも早速美術館に出かけて詳細を尋ねてきます。

 昨日書いたNHK大河ドラマ『どうする家康』配役発表の記事は、僕の拙い文章では分かりにくかったと反省。加筆します。

 主な反省点は、誰でも服部半蔵を知っているとの思い込みです。服部半蔵の正式の名は、服部半蔵正成。半蔵は通名です。徳川家康 の16神将のひとりに数えられる重臣です。

 ただ、一般的には忍者の印象が強く、ニンジャと言えば 服部半蔵、 服部半蔵 と言えばニンジャの頭領…というのが一般的な見方ですよね。漫画「忍者ハットリくん」のモデルとしても知られます。東京の地下鉄路線「半蔵門線」にもその名が冠せられるほどの有名人です。

 ただ、半蔵は忍者ではなく、忍者を含む警護役を使って将軍の身辺警護を行う、いわば現在の皇宮警察本部長にあたるとの指摘など諸説あります。Wikipedia「服部正成」をのぞいてみましたが、諸説・情報の寄せ集めの感ありでそれらを鵜呑みにしない方が良いでしょう。

 要約すると、京都にいた父親の保長(初代服部半蔵)が家康公の祖父清康に誘われて岡崎に来た忍者で、その息子である半蔵正成はこどもの頃大樹寺に〝小僧〟として預けられていましたが、仏道に進むのを嫌い脱走。それからの6,7年は消息不明です。

 再び半蔵正成の名が文書で確認されるのは、三河蒲郡(愛知県蒲郡市)の上ノ郷城攻めです。この城攻めに若き家康公は忍者を使ったのですが、その忍者集団を指揮したという説もあります。

 『どうする家康』のディレクターがその辺りに異常なほどの関心を示していましたから、ドラマでは目玉のひとつにされることはまず間違いないでしょう。徳川幕府の編修した大名や旗本の家譜(一種の家系図)集である寛政重修諸家譜には、「16歳のときに、三河宇土城(うどのじょう又は上ノ郷城)を夜襲し戦功を立て家康公から持槍を拝領した」とあります。この寛政重修諸家譜は「盛って書かれていることも多い。そんな若造がいきなり大活躍など怪しい」と言う史家もいますが、そんなことを言いだしたらキリが無いので僕は〝事実〟として話を進めます。

 家康公の生命の危機のひとつと言われる「伊賀越え」でも半蔵の役割や功績は史家の間で二分されます。しかし、現地にも足を運んで調べてきましたが、半蔵によって家康公が危機を乗り越えた可能性は十分にありますし、そう伝わってきた話です。それを今になって〝重箱の隅をつつくような資料調べをして〟覆すのは如何なものかと思います。

 関東の方であれば皇居に半蔵門があるのはご存じのはずですが、それはその昔、皇居が江戸城であったころ、そこが搦手(からめて)門にあたり、非常時に将軍を城から脱出させるための門でした。正式名称が半蔵門だったわけではありません。その辺りが将軍警護の総責任者である半蔵のテリトリーだったことからその門を人は半蔵門と呼び、その縁で東京の地下鉄路線 #半蔵門線 にもその名が付けられたというわけです。

 でもその一方で、半蔵が岡崎生まれであることや #徳川家康 公の嫡男信康の自害の介錯役であったにもかかわらず泣き崩れて首がはねられなかったことはあまり知られていません。岡崎の人でもそれを知る人は少数派です。生まれた場所にその碑すら建てられていないのは寂しい限りです。

 そんなこんなを思って配役発表の記事を書いた次第です。長々と失礼しました。

 

 そう言えば昨日、岡崎市の観光協会の会長になられた「まるや八丁味噌」の浅井社長(ひげ仲間ですが親戚ではありません)がカフェに顔を出したのでこの話をして「岡崎に忍者屋敷でも作ったらどうですか?」と冗談交じりに話を振ってみるとメモを取っていました。ひょっとしたら実現したりして…(笑)

 『#どうする家康』配役発表の場での #服部半蔵 役の立ち位置(主役の向かって左隣)からすると、やはり、服部半蔵を重視するつもりのようですね。ディレクターの一人と会った時には伊奈忠次の徳川平和への貢献を強調、忠次を重視するよう強く推したんですけどねえ。でも、その時の質問が半蔵に関することに集中しましたから、〝やはり〟とのガッカリ感は否めません。

 こうなれば、半蔵が岡崎市伊賀町生まれであること、子どもの頃は徳川・松平家の菩提寺である大樹寺で「小僧」をしていた(でも数年で脱走)ことを、岡崎との縁を強調して、「冷血な忍者」ではなく、徳川平和を確立するために貢献した心温かい重臣であったように描いてもらえるよう働きかけなければいけませんね。

 でも、もうホンは書きあがって撮影が始まっているから無理?

 いやいや、岡崎からの熱意が伝われば、不可能ではないと僕は信じています。

 因みに、名古屋城の武将隊に「服部半蔵」がいますが、岡崎城の葵武将隊に半蔵役がいません。これを機会に岡崎は「本家本元」を主張して半蔵役を入れたらどうですかね?

 

 松本潤主演大河「どうする家康」山田裕貴・広瀬アリスら新キャスト発表(2022年04月15日)

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ...