新着情報

2022.06.02 (Thu)  20:25

「竹千代チャンネル」第1話公開

2022年6月1日、『竹千代チャンネル』の第1話「徳川家のルーツ 〜松平郷を巡る〜」を公開しました。全編16話のシリーズとなります。

2022.06.01 (Wed)  18:43

日本赤軍と私

 50年前の5月30日、3人の日本の若者が世界を震撼させました。

 イスラエルのテルアビブ・ロッド空港(パレスチナ人たちはリッダと呼ぶ)で銃乱射事件を起こして約100人(主に旅客)を死傷させたのです。

 私はその時、隣国シリアの首都ダマスカスで取材中。2週間前までイスラエルにいて、その1週間前には同じ場所でベルギーSABENA航空ハイジャック事件の取材をしていたのです。 心を痛める一方、「絶好の機会を逸した」と悔しがるおバカな若者でした。 事件を受けて現地の人たちから「ヤバニ、クワイエス(日本人は素晴らしい)と大歓迎をされて戸惑ったものです。

 生き残った「コーゾーオカモト」は英雄視され、生まれてくるわが子にコーゾーと名付ける親も現れたほどです。 これは多くの非アラブ人、非イスラーム教徒には理解しがたい感情ですが、あの事件はアラブの人たちにとっては「単なるテロ事件」ではなかったのです。 その背景にはナチスのホロコーストとイスラエルの建国とそれに続く何回かのアラブとイスラエルの戦争がありました。 ナチスによる大虐殺があったとはいえ、大量にアラブの地に流れ込んできたユダヤ人たちが欧米の支援を受けてイスラエルを建国してアラブ社会に戦争を仕掛け、「聖地エルサレム」をアラブ人の手から奪い、領土を増やし続ける姿にアラブの人たちは、恐れ、怒りを抱いていました。「イスラエルなんぞは地中海に放り出してやる」と大言壮語しながらも戦争で負け続けるアラブ諸国の指導者たちに失望していたアラブの人たちは、日本から来た若者が「一矢を報いてくれた」と受け取ったのです。

 

 戦争を無くしたくて戦争特派員を目指していた私がそのやり方に賛同できるはずはありません。彼らに直接話を聞きたいとそれからは赤軍を取材対象の一つに加えて接触を試みました。

 幾つかのチャンネルを通して接触をはかっても反応は得られませんでした。PFLP(赤軍が連帯してきたパレスチナ組織)の幹部から居場所を教えてもらいましたが、突撃訪問するのも躊躇われ、5年後になってようやく人を介して幹部の一人と会うことが出来ました。

 1981年に初来日したアラファトPLO議長に4日間の密着取材を許された私は、折を見て「日本赤軍の扱いをどうするか」を尋ねました。それは、日本サイドから「後藤田正晴氏(wikiなど一部情報では当時の官房長官とするが、その時の官房長官は宮澤喜一)がアラファト議長に赤軍を抑え込むよう要請した」との情報が入っていたからです。その時アラファト氏は私の問いには何も答えず、ただ答えたくない質問をされた時特有の含みを持った笑みを浮かべただけでした。

 

 その翌年、ベイルートを訪れた私はPLOの赤軍に対する姿勢の変化を感じ取りました。ひと目につかない場所を選んで前述の赤軍幹部に会ったにもかかわらず、翌朝にはPLO幹部がホテルの部屋を訪れてきて「昨夜赤軍の〇〇と会っていたでしょう?あなたはPLOのブラックリストに乗りたいのですか?」と言われたのです。当然の事ですが、「私を見くびってはいけません。そのような〝リクエスト〟に応じるようなら、こんな遠くまで戦争取材には来ませんよ。私はこれからも好きなように取材を続けます」と答え、その赤軍幹部とはその後も会い続けました。

 しかしそれからひと月後、PLOはイスラエルとの「90日戦争」に敗れてレバノンから撤退、チュニジアに大挙移動しました。

 PLOの一翼を担うPFLPという支柱を失った日本赤軍の活動はそれから鳴りをひそめ、時折り幾つかのテロ事件への関与が噂されるだけとなりました。 重信房子氏を含むメンバーが、ある者は自主的に、またある者は潜伏先の国で捕まり強制送還されるなどして日本に姿を見せるようになりました。

 日本の公安との関係もいろいろありましたね。刑事たちも私の立ち位置が不可解だったらしく、最初は電話の盗聴をしたり尾行をしてきました。 何事も〝一直線〟を貫こうとする私は、警視庁や警察署にまで出向き、そんな公安刑事に対して厳しく対応「話を聞きたいのならコソコソしないで堂々といらっしゃい」と言い、「ただし、たとえ犯罪者であっても取材協力者から得られた情報をあなたたちに上げることはないよ」と釘を刺しておきました。

 あるジャーナリストが赤軍との関係を疑われて「公安にガサ入れされそうなんだけどどうしたら良いのか」と助言を求めてきた時も、彼とは立ち位置が違うので答えようがありません。自分のやり方を説明するにとどまりました。 懇意にしていた女優・李香蘭の名でも有名な故山口淑子さんから10年くらい前に「○○ちゃん(前述の赤軍幹部)とお食事しません?」と誘われた時は、山口さんの交友関係の幅広さに驚くと共に「時代の流れ」を感じました。「自民党の元国会議員と国際武装組織の幹部」という組み合わせは、赤軍が活発に動いている頃であったらあり得ない話でした。

 

 昨日、私の古巣のAP通信が「コーゾーオカモト」の近況を伝える映像を見ましたが、その姿は「気の弱そうなお爺さん」。イスラエルの獄中にあって精神を壊されたにせよ、あの様な惨劇を起こした戦闘員の面影はありませんでした。

 ここまで最近のニュースを見て取り止めもない話を書いてみました。今は自分から動くことはありませんが、3人の内の誰かに会う機会が転がり込んできたら、〝積もる話〟を聞いてみたいですね。

第45回 「留学準備に邁進②

第44回 「留学準備に邁進①

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ...