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2022.02.10 (Thu)  21:33

Ieyasuにほれた英国人

 2019年秋。

 私達夫婦が岡崎市で経営する「グローバル・スタディーズ・カフェ」の前にひとりの外国人が姿を見せました。

 大柄な体を折るようにして中を覗き込んでいるのを見て、カフェ営業時間は終わっていましたが、私はドアを開けて彼を中に招じ入れました。

 店内を見回した後、彼は「このカフェはどんなポリシーでやっているのか?」と聞いてきました。

「徳川平和を世界に伝えたい」との設立理念を説明しました。

 そうすると彼は、

「僕はこういう場所を探していたんですよ」

 と言うので、

「まあまあ、お座りなさい。珈琲を飲みながら話を聞きましょう」

 と着席を促し、彼の話を聞きました。

 英国人の彼は、岡崎市にある国立研究所『自然科学研究機構』の研究者で、子どもの頃に両親から「世界の歴史」の本をプレゼントされたのがきっかけでIeyasu Tokugawaに興味を持ったと言います。「Ieyasuの生まれ故郷で基礎生物学を研究したい」と応募して合格。喜び勇んで来日。研究所を管轄する文部科学省に行くと、そこで衝撃を受けます。

 文科省の役人から「岡崎ってどこ?​​​​​​」と聞かれたと言うのです。

 そう。私の経験からも言えることですが、岡崎の知名度は低く、「名古屋なんですね?」「京都ですか?」とよく言われたものです。

 そして岡崎に来てから「岡崎で出会う人たちの多くがIeyasuの名前を知っていても、それ以上は知らない事実」に驚きます。

  会話は盛り上がり、『大樹寺松平八大墓所』で清掃・供花活動をやっていると私から聞くと、「普段は土日も関係なく働いているので毎週は参加できないが、明日は大丈夫。参加していいですか?」と言ってくれました。

 そして翌日。「若き家康がここで自害しようとしたけど、住職に思いとどまるよう言われて『厭離穢土欣求浄土』と言う言葉を授かり〝覚醒〟したんですよ」とその現場で説明すると、とても喜んでもらえたのです。

 それからしばらくしてコロナ禍もあったのでしょう。帰国したようですが、その後は間違いなく世界のどこかで〝伝道師〟としてパクス・トクガワーナ(徳川による平和)を普及してくれているはずです。