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2022.02.10 (Thu)  21:41

徳川平和と水

 歴史上の出来事を見れば分かるように、「水」は私たちに豊かな暮らしをもたらしてくれますが、その一方で「争い」の原因となることも少なくありません。

 アフガニスタンに散った中村哲さんも「100の診療所より一本の用水路だ」と考えて25.5㌔の用水路を造り約65万人もの命を救いました。

 でも、原因は分かりませんが、何者かによって暗殺されてしまいました。

 その哲さんが用水路を造るのに採用した工法が信玄堤です。信玄堤とは、室町時代から現代にまで続く、大きな竹の皮で作った蛇篭に大きな石をたくさん入れて埋め立て工事をするやり方です。

 江戸はかつては〝坂東太郎〟とあだ名された利根川が頻繁に氾濫してできた湿地帯でした。家康公は「江戸前(現東京湾)」に流れていた利根川を千葉の銚子に付け替えて、肥沃な関東平野を作り上げます。

 その工法が信玄堤でした。

 総監督は伊奈忠次。当時の土木・治水政策の総責任者でした。

 家康公は、2度にわたって自分に歯向かってきた忠次を最終的には許し、最後は全面的に信用して事実上「水」に関する事業全てを忠次に任せたのです。忠次が「江戸の基礎を作り上げた」と言っても過言ではありません。領地は、現埼玉県伊奈町にありました。