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2022.02.12 (Sat) 20:51
関ヶ原の戦いに秘められた家康公の思い
1600年の関ヶ原の戦いは、天下分け目の戦いとして有名ですが、その開戦日である9月15日に秘められた家康公の思いは意外に知られていません。
この日は長男信康の命日なのです。
一部で「子殺し」と汚名を着せられる「信康自刃事件」ですが、「父子不和説」「信長命令説」など諸説紛々ですよね。紛れもない事実は、家康公が岡崎城主であった信康を大浜城で蟄居させ、そこから遠江の堀江城、さらに二俣城へと移したということ。
ただ殺したいのであれば、このようなことをするはずはありません。やはり、「信長の怒りのほとぼりが冷めるのを待つ為」「信長の目に触れぬように隠す為」と見るのが自然ではないでしょうか。
最悪の結果を深く悼んでいた家康公は、その悔しさを天下分け目の戦いにこめたのです。だからこそ、開戦日を信康の命日としたのです。3万8千の大軍を率いる秀忠の到着を待たずに火ぶたを切ったのはここにありました。
その辺りは、さすがBBC(英国公共放送)。2007年から2008年にかけて放送されたシリーズ『英雄と悪党たち』(6話中第2話)で、巧みに表現しています。英語版ですが素晴らしい出来栄えです。ぜひご覧ください。