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2002年5月、私は自分が埼玉県で経営していた英会話学校のニュースレターに、「いよいよ始まった小学校の『英語教育』」という文章を書いています。

久しぶりにその文章を読み返して、当時のことを少しずつ思い出してきました。

私が日本の英語教育について本格的に取材したのは、1990年代初めのことです。

1992年には、講談社が発行していた月刊誌『Quark』で英会話教育を取り上げました。同じころ、NHKの教養番組でも日本の英語教育について解説しています。

その後だったと記憶しています。

文部省の若い官僚が私のところへやって来ました。

これから小学校で英語を扱うことについて、どう考えるか。そんな趣旨で私の意見を聞きに来たのです。

その時、私が聞いた説明で印象に残っていることがあります。

小学校に「英語」という教科を新しく設けるという話ではない。

あくまで「国際理解教育」の一環として、子供たちが外国語や外国文化に触れる機会をつくる、という話でした。

私はそれなら理解できると思いました。

実際、その後の政策を調べ直してみると、私の記憶とかなり一致します。

1996年の中央教育審議会答申では、小学校段階で外国語そのものの習得を目的とするのではなく、国際理解教育の一環として外国語に触れるという方向が示されました。

そして1998年に告示された小学校学習指導要領でも、英語は独立した教科にはなりませんでした。

新しく設けられた「総合的な学習の時間」の中で、

「国際理解に関する学習の一環としての外国語会話等」

を行う、という位置づけでした。

ところが、2000年前後になって、私は驚きます。

話が少し違う方向へ進んでいたからです。

文部省は2000年12月に『小学校英語活動実践の手引』を作成し、翌2001年に刊行しました。

そこでは、英語活動は「聞く・話す」という音声を中心とし、英語の音やリズム、単語や表現に触れ、さらに英語による自己表現まで行うことが想定されていました。

しかも、それを担当するのはALTだけではありません。

学級担任が中心となり、場合によっては担任だけでも英語活動を行うことが想定されていたのです。

私はこれを知って、文部科学省に電話をしました。

以前、私の意見を聞きに来た若手官僚とは別の担当者でした。

私はかなり強い調子で言ったようです。

その時のことを、2002年5月に書いた文章にはこう記しています。

「これまでのわが国の読み書き偏重の英語教育ではなく、小学校ではオーラル主体の教え方でやって欲しい」

という文部科学省の考え方に対して、

「小学校の先生にそんな能力がある人がどれだけいると思っているのか」

と猛烈に抗議した、と。

なぜ私がそこまで怒ったのか。

24年前の自分の文章と当時の文部省資料を読み合わせてみると、理由がよく分かります。

私は小学校で子供たちが外国語に触れることに反対していたわけではありません。

まして、国際理解教育に反対していたわけでもありません。

問題は、「国際理解」という理念で始まったものが、十分な準備もないまま事実上の英語教育へと姿を変えつつあったことでした。

英語教育の専門的訓練を受けていない小学校の担任に、「読み書きではなくオーラル中心で教えてください」と言う。

これは簡単な話ではありません。

英語を話せることと、英語を教えられることは違います。

まして子供たちに外国語の音を聞かせ、発音させ、会話を引き出し、間違いにどう対応するかまで判断するとなれば、それはすでに専門的な教育技術です。

ところが、それを担う教師の養成も研修も十分ではありませんでした。

私が当時住んでいたさいたま市について調べると、その実態はさらに心配なものでした。

前年の夏休みに行われた小学校教員向けの「英語に親しむ指導法」研修会に、市内から参加した教師はわずか39人。

研修期間は2日間、合計6時間でした。

私は2002年の記事でこう書いています。

「教育の現場において『試行錯誤』が許されるのは、事前にあらゆる想定をしたり、研究、実験授業などを繰り返した結果、『失敗する可能性は高いが、やってみる価値は十分にある』と判断した時」

である、と。

そして、

「小学校における英語教育は、見切り発車の状態でスタートしてしまいました」

と結論づけています。

改めて政策の流れを追ってみると、文部省がある日突然、「国際理解をやめて英語を教科にしよう」と方針転換したわけではありません。

むしろ、その方が問題の本質をよく表しています。

看板は「国際理解」のままだったのです。

しかし、その看板の下で授業方法が具体化されていくにつれ、「英語の音を聞く」「英語を話す」「英語表現を使う」「英語で自己表現する」といった活動が増えていきました。

そして、それを担任が教える。

制度上は「英語」という教科ではない。

しかし教室で起きていることは、次第に「英語の授業」に近づいていったのです。

おそらく私は、その変化に違和感を覚えたのでしょう。

その後、小学校英語はさらに制度化されます。

2008年の学習指導要領改訂を経て、2011年度から小学5、6年生の「外国語活動」が必修となり、さらに2020年度からは5、6年生で正式な教科「外国語」となりました。

振り返ってみれば、1990年代に若い文部官僚から聞いた、

「教科としての英語ではありません。国際理解教育の一環です」

という説明から、日本の小学校英語はずいぶん遠いところまで来たことになります。

2002年、私は記事の最後にこう書きました。

「これからも私はこの自分にとっての専門分野である問題を『監視』し続けて時折り皆さんに相談したり、ご報告をさせていただきます。」

あれから24年。

当時の文章を読み返してみると、これは単なる昔話ではないように思えます。

教育改革で本当に問われるべきなのは、新しい制度を作ったかどうかではありません。

その理念を現場で実現できる人を育てたのか。

制度を導入する前に、その問いにどこまで答えたのか。

小学校英語をめぐって私が2002年に感じた違和感は、いまの教育行政を考えるうえでも、決して古びてはいないと思います。