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「尖閣」を棚上げした知恵から考える日中関係
高市首相の「台湾有事」発言で日中関係が拗れる中、その核心の一つとして浮上するのが「尖閣問題」です。
その議論に、長年この問題に取材者として関わってきた私は、ずっと違和感を抱いています。
なぜなら、いま語られている尖閣問題と、私が1970年代に取材現場で見聞きした尖閣問題との間には、大きな隔たりがあるからです。
1972年、田中角栄首相が北京を訪れ、日中国交正常化交渉が行われました。
その際、田中首相が尖閣諸島について尋ねると、周恩来首相は「今回は話したくない」という趣旨の言葉で、議論を避けました。
領有権について双方の主張は違う。しかし、その問題をここで争って、日中国交正常化という大きな目的を壊してはいけない。
いわば「大同小異」の考え方です。
そして、日本側もそれを受け入れ、国交正常化を実現しました。
◆ 鄧小平が語った「次の世代に」
それから6年後の1978年。
日中平和友好条約が締結され、鄧小平副首相が来日しました。
10月25日、東京の日本記者クラブで記者会見が開かれました。
約400人の報道関係者が集まった大変な会見でした。
私は当時、AP通信東京支局の記者として、その会場にいました。
尖閣について質問された鄧小平は、国交正常化の際にも双方がこの問題に触れないことにした、平和友好条約交渉でも同じだった、という趣旨の説明をしました。
そして、尖閣問題は一時棚上げしても構わない、自分たちの世代には知恵が足りないかもしれないが、次の世代はもっと知恵を持っているだろう、と語りました。
私はその言葉を会場で直接聞いていました。
重要なのは、鄧小平が突然「棚上げ」を思いついたわけではないことです。
1972年の周恩来と1978年の鄧小平には、一貫した考え方がありました。
領有権について一致できなくても、それを日中関係全体を壊す問題にはしない。
そして少なくとも当時の日本政府も、それによって国交正常化や平和友好条約を止めることはしませんでした。
現在の日本政府は「尖閣諸島をめぐり、解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」「棚上げについて中国側と合意した事実はない」という立場です。
しかし、1970年代の日中外交の実態を見るなら、それだけでは説明し切れないものがあります。
明文化された「領有権棚上げ協定」があったかどうかという問題と、双方が尖閣を日中関係全体の障害にしないという政治的判断を共有していたかどうかは、別の問題だからです。
◆ キッシンジャーに直接聞いた
もう一つ、忘れられない経験があります。
1974年、米国務長官だったヘンリー・キッシンジャーが東京に立ち寄った時のことです。
半世紀以上前のことなので細かな日程の記憶は曖昧です。木村俊夫外相との会談後だったようにも覚えていますし、中国から戻ってきた際だったという記憶もあります。
当時、APなど外国報道機関は、日本の記者クラブ制度の中で不利な扱いを受けることが少なくありませんでした。
そこで私は、キッシンジャー本人を個人的に捕まえて質問しました。
「尖閣諸島の領有権について、米国政府はどのように考えているのですか」
正確な言葉までは覚えていませんが、キッシンジャーは、
「これまでの米国政府の方針に変更はない」
という趣旨の答えをしました。
私はその時、妙な印象を受けました。
「この人は、尖閣を日本のものだとは考えていないのではないか」
もちろん、キッシンジャーがそう言ったわけではありません。
あくまで、その時の私の受け止めです。
ところが、半世紀近くたって公開された米国政府の内部文書を読むと、興味深い記録が出てきます。
米国政府の基本的な立場は、沖縄返還に伴って尖閣諸島の「施政権」は日本へ返したものの、最終的な「主権」がどこに帰属するかについては判断しない、というものでした。
さらに1974年1月31日の米国務省幹部会議では、中国の海洋進出について話している最中、キッシンジャー自身が、中国を尖閣の方へ向かわせることはできないか、と冗談とも皮肉とも取れる発言をしています。
これをもって「キッシンジャーは尖閣を中国領だと考えていた」と断定することはできません。
しかし少なくとも、彼が「尖閣は当然日本領である」と考え、日本の領有権を全面的に支持していたとは言い難いでしょう。
そう考えると、1974年の東京で彼の短い返答を聞いた時に私が抱いた違和感も、あながち的外れではなかったのかもしれません。
◆ 「抑止力」で本当に日本を守れるのか
そして半世紀が過ぎました。
中国は、1970年代とは比較にならないほど巨大な経済力と軍事力を持つ国になりました。
それに対して日本では、中国の軍事力に対抗するため、防衛力をさらに強化しなければならないという議論が主流になっています。
しかし、私はそこにも大きな疑問を感じます。
私はこれまで、いくつもの戦争を取材してきました。
その経験から見ると、中国のような巨大な軍事大国に対して、日本が軍事力を増強することで「抑止力」を確保し、安全を保障できるという発想は、私にはどうしても現実的とは思えません。
日本は狭い国土に人口、産業、発電施設などが集中しています。
原子力発電所も多数あります。
戦争が始まれば、ミサイルを何発持っているか、何発迎撃できるかという計算だけでは済みません。
一発の攻撃が、日本社会に取り返しのつかない被害を与える可能性があります。
「攻撃すればこちらも反撃するぞ」と中国に思わせることだけが、安全保障なのでしょうか。
私はむしろ逆だと思っています。
◆ 「日本を壊したら中国も困る」国を作る
日本が目指すべきなのは、中国に、
「日本を壊したら、中国自身も大変な損失を被る」
と思わせるような国造りと関係作りではないでしょうか。
経済だけではありません。
技術、学術、文化、教育、人的交流、自治体、観光――幾重にも関係を張り巡らせ、政治的対立が起きても簡単には切断できない関係を作るのです。
これは中国に迎合するという話ではありません。
中国を信用せよ、という話でもありません。
中国という巨大な隣国はなくなりません。
日本も中国も、この場所から引っ越すことはできないのです。
米国との同盟関係も当然、重要です。
しかし、「米国の核の傘があるから大丈夫」「いざとなれば米国が日本を守ってくれる」という前提だけに、国家の生存を委ねることにも私は疑問を持っています。
米国によるイスラエルへの支援を見て、「日本も同盟国だから米国は必ず守る」と語る人もいます。
しかし、米国にとってイスラエルと日本はまったく同じ存在ではありません。
歴史も、国内政治との関係も、地政学的位置も違います。
まして相手が核兵器を持つ中国となれば、米国自身がどこまで危険を引き受けるのかは、誰にも保証できません。
◆ 1972年と1978年に戻って考える
だからこそ私は、1972年と1978年の日中関係を、もう一度きちんと振り返る必要があると思っています。
周恩来も鄧小平も、尖閣問題を「解決」したわけではありません。
田中角栄も福田赳夫も、日本の領有権を放棄したわけではありません。
解決できない問題を抱えたまま、それでも日中関係を前へ進めたのです。
それを「問題の先送り」と批判するのは簡単です。
しかし私は、そこに政治の知恵を感じます。
尖閣をめぐって双方が一歩も引かず、台湾有事を想定して軍備を増強し、互いを仮想敵国のように扱っていく。
その先に、本当に日本の安全があるのでしょうか。
高市首相の「台湾有事」発言を契機に日中関係が再び緊張している今だからこそ、台湾を含む日中関係そのものを、国民的なレベルで議論し直す時期に来ていると思います。
その際、1972年の日中共同声明と1978年の日中平和友好条約を、もう一度読み返すことから始めてもいいでしょう。
そして、尖閣をめぐって周恩来と鄧小平がなぜ「今は争わない」という選択をしたのかも考えてみるべきです。
日本にとって本当に必要なのは、
「中国との戦争にどう備えるか」だけではなく、「中国との戦争をどうすれば起こさずに済むのか」を国家戦略として考えることではないでしょうか。
私は、そこから日中関係をもう一度組み立て直すべき時期に来ていると思っています。



