私の人生劇場

少年期

第15回 「ボロ雑巾になった僕の天使」

 仕事から帰宅した千代子がある時、くにおみに聞いてきました。

「スピッツをくれる人がいるんだけど欲しい? ちゃんと面倒を見られる?」

「みれるみれる!」

 くにおみは大喜び。千代子から言われたいくつかの条件を即のんで、

「お願いします、お願いします」

 と頭を下げました。

 

 しばらくして、小さな子犬が我が家に来ました。くにおみの目には天使のようでした。子犬独特の匂いがたまらなくて肌身離さず。寝る時も自分の寝床に入れていました。下校しても「道草を食うことなく(死語ですね)」家に直行です。近所に見せびらかしにいくこともありました。どんな名前にしようかと自分で辞書を開き、フランス語で友達を意味するアミと名付けました。

 アミとの生活はそれまでの暗くて辛い日々を忘れさせてくれました。

 しかし悪夢がくにおみに襲いかかります。

 我が家に遊びに来た母方の実家のいとこがくにおみの愛犬を見て「アミが欲しい!」と駄々をこねたのです。そして火が付いたように泣き、暴れました。

 普通であれば、周りの大人が駄々っ子を言い聞かせるはずです。ところが、いとこの母親が「くんちゃ、これおくれん」と言ったのです。いとこは「本家の跡取り息子」ということもあって甘やかされて育ち、時に手が付けられない状態になるわがままな子でした。

 くにおみが首を縦に振るはずがありません。絶対にダメだと抵抗しました。ところが信じられないことに、千代子を含めて大人たちが「またもらってきてあげるから」「おにいちゃん(年上)なんだから」と言ってアミを奪い、いとこに渡してしまったのです。私が猛烈に抗議したのは言うまでもなく、大暴れしましたが、アミは連れ去られてしまいました。

 約束通り、千代子はしばらくしてビーグル犬をもらってきました。名前を同じアミと付けたもののスピッツのアミとは違います。‟白い天使”と一緒に寝た日々が忘れられず、思い出してはひとりしのび泣いていました。千代子に対してはいつまでも口をきかずにいたのですが、すると「男はいつまでも昔のことをぐずぐず考えるんじゃない!」と逆切れされました。

 それから半年ほどして母の実家を訪れたくにおみは、信じられない光景に茫然自失となりました。久しぶりにアミに会えると楽しみに玄関に入ったくにおみの前に、白い天使がボロ雑巾のようになって現れたのです。熱湯を浴びて大やけどを負ったと言われましたが、それ以上は何を言われたか記憶にありません。滂沱(ぼうだ)の涙が止まりませんでした。目の前が見えなくなるほどの涙でした。アミの痛々しい姿に触れる手はおそらく怒りで震えていたと思います。

 オトナの横暴とはまさにこのこと。くにおみの大人、特に母親への不信感は筆舌に尽くせないレヴェルにまで達しました。その一方で、周りの大人たちはくにおみを破天荒なひねくれ者とレッテルを貼り、事あるごとに話題にして笑いの種にしていました。

 そんなこともあってくにおみは「早く大人になって母や兄、それにくだらない大人たちから解放されたい」との想いを強くするのでした。亡き父と話す時間も多く、「お父ちゃん、助けて。僕を強くして」と空を見上げては涙していました。

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