第17回 「冷水摩擦で異次元へ」
「きよし先生、僕は強くなって早くたいそう(体育の授業)をやりたい。それに大人になったら新聞記者になりたい。どうしたら体を強くできるの?」
5年生になり体力が向上するにつれてより強い体を求めるようになったくにおみは、ある日主治医にたずねました。
「そりゃあ方法はあるよ。でも、くんちゃんには無理だな。おとなでも難しいんだから」
冨田清先生はそう言います。「教えてください。絶対にやるから」と食らいつくくにおみを見て“してやったり”と思ったのではないでしょうか。
「それじゃあ、くんちゃんには特別に教えてあげよう」
清先生は引き出しから手ぬぐいを出して、
「これは冷水まさつと言うんだけどね」
「???」
「手ぬぐいかタオルを冷たい水に入れてしぼり、それで体をこするんだよ。首、胸から腹、背中、腕、そして脚まで、真っ赤になるまで同じ所を50回ゴシゴシやるんだ。それを毎朝、寒い冬も一年中やれば風邪をあんまり引かんようになる。3年やればそりゃあ医者要らずと言って強くて健康な体になるな。でも、あんまりみんなに教えんよ、これは。みんなが健康になると医者いらずになって商売あがったりだから」
と最後はいつものユーモアたっぷりの独特の言いまわしと笑顔で健康法を紹介しました。
「あ、でも今やっちゃあいかんよ、寒すぎるからね。あったかくなったら始めるんだ」
診察室を出ようとするくにおみに清先生はそう念を押しました。
人生を左右しかねない朗報を得てくにおみが春まで待てるはずはありません。早速翌朝から冷水摩擦を始めました。それを見た千代子は「なにやってるの。風邪引いても知らないからね。どうせ三日坊主なんだから」と冷ややかな視線を送ってきました。
場所として選んだのは温かい寝室ではなく風呂場でした。風呂場と言っても屋内にはなく、家屋と接しているもののいったん屋外に出てからドアを開けて出入りしなければなりません。床はむき出しのコンクリートの上にすのこが置かれているだけのもの。しかもトタンで囲われているだけですから寒風が入ってきます。気持ちが悪くなる様な寒さでした。
同じところを50回強く擦ります。ただでさえ病弱で鍛えられていなかった柔肌は真っ赤になり、数日で肌荒れを起こしました。母や兄からは依然として冷めた目で「体中血が死んでる(血がにじむ)じゃないか。やめとけやめとけ。それでまた病院に行くことになるぞ」と言われました。
でもくにおみがくじけることはありませんでした。これまで病弱であったことからくる悔しさは、少年の心を強くしていました。
三日坊主は一ヶ月を超え、その冬風邪をひかなかったこともあり、春を迎えてもやる気満々。そして、夏に入ると母や兄のくにおみを見る目が少し変わってきました。千代子が珍しく目を細めて「あんた、よう続くねえ」と言ったのです。
夏休みも終わりに近付いた頃でした。冨田病院に定期健診に行った時のこと。(※写真は現在の冨田病院)
「おめでとう。よくがんばったね。冬から初めてここまで続いたのはくんちゃんが初めてだ。二学期からはたいそうの授業を受けていいよ」
清先生は丸顔をさらに丸くしてそう言いました。
“やったあ!”
くにおみは、天にも昇るという表現が当時はよく使われましたが、まさにそんな境地、夢心地でした。
「きよしせんせい、お願いだからおかあちゃんに電話しといてくれる?たいそうを始めていいって」
自分の報告で千代子が納得するはずがないと考えたくにおみは、主治医の冨田清にそう言って頭を下げました。
帰りのバスの中で、乗客の目を気にして言葉にはしなかったものの、何度も何度も心の中で「たいそうができる、たいそうをやっていい」と‟叫んで”いると涙で窓外の景色がかすんで見えました。
その年の秋空の下、校庭には嬉々として体育の授業を受けるくにおみの姿がありました。