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第20回 「阪神大震災『活動記録室』誕生裏話」

 日本の代表的な防災工学者・室崎益輝さんから、NPO法人「市民活動センター神戸」(KEC:Kobe Empowerment Center)の総会が6月5日(土)に行われたとの報告がありました。

 実はこのKFC、

 いやこれではフライドチキンですよね。

 KEC。これは僕が言い出しっぺで作られた組織なんです。

 と言っても、ホントに提案しただけで、あっという間に僕の手から離れてしまったので僕が作ったと胸を張れるものではありません。僕が言い出したことをここまでにしていただいた多くの皆さんの力の結集に、これぞ「エンパワーメント」と喜んでいます。

 NPO法人「市民活動センター神戸」はNPO支援事業や調査研究事業、政策提言事業、東日本大震災支援事業など幅広い活動を行う団体で、その設立は1995年にさかのぼります。

ACT NOW 2.gif

 アレは、26年前の2月のことでした。

 阪神・淡路大震災が起きてひと月余り。

 神戸市長田区役所に設けられたヴォランティアルームには、いつものようにヴォランティア組織の代表が集まっていました。その数ははっきり覚えていませんが、30人近くいたと思います。

 会議が始まる前で雑談をしていた時、何人かが疲れきった表情で、「普賢と同じ轍を踏んでいる」「奥尻でも同じだった」と愚痴をこぼしていました。その人たちは、見るからに長年被災地支援活動に携わっている感じでした。「普賢」とは雲仙普賢岳の火砕流(1991年)、「奥尻」とは北海道南西沖にある小さな島を襲った地震災害(1993年)を指します。

 同席者のほとんどは僕を含めて“初心者”。“ヴェテラン”の話をただ聴くのみ。その場には一日の疲れもあって、どんよりとした重い空気が流れていました。

 

 気怠い空気を変えたくて、僕が口を開きました。

「だったら提案します。『各グループの地震発災直後から自分たちは、組織はどう動いたか』の記録を今からでも遅くありません。スタートからきちんと残したらどうでしょうか?」

「形式はいろいろ考えられます。例えば取材グループを作って対話形式の調査を行うのも良いですよね」

「得られたものをマニュアル化して冊子にし、ヴォランティアだけでなく行政関係者など誰でもがその情報を共有できるようにしたら良いんじゃないですか?」

 ヴェテランの人たちは何も応えません。あくまでも想像ですが、新参者の僕に対して違和感があったのでしょう。「遠くから来た年上のうるさいオヤジが放つ思いつきになんか付き合ってられないよ」といった雰囲気すらありました。

 気まずい沈黙と重い空気がその場を支配しました。

 その時です。まるでドラマのような展開がありました。

「浅井さんの言ってることは正しいですよ。なんでみなさん浅井さんの言うことを考えてみないのですか?」

 僕の左手奥から男性の声が上がりました。スウェーデン人留学生のケネスです。彼とはそれまでに挨拶をした程度。東大で研究する「学者の卵」くらいの認識しかありませんでしたから、突然の発言に驚きました。それは他のメンバーに強いインパクトを与え、その場の空気は一変。僕の発言は提言とされ、具体的な検討に入りました。

 担当するメンバーが決まり、僕を代表とする動きになりましたが、僕は神戸に常駐するわけではなく、関東と関西を行き来する“通いヴォランティア”。それに40代後半でしたから、なるべく早く誰か若い人に担ってもらうことを条件に「暫定代表」になりました。

新聞雑誌記事 4 読売新聞1995年1月25日.jpg

 地震発生後、僕は「ACT NOW」の仲間と、浦和と神戸をひと月に何回か往復していました。活動がスタートして何回目かの神戸訪問の時、W氏を紹介されました。

 W氏が活動の中心メンバーになっていると聞いてビックリ。仮にせよ代表の僕の承諾なしに知らない人が中核を担っているのはあり得ないこと。ただ、W氏の押しの強さを見て、さもありなんと追認せざるを得ませんでした。

 次に神戸を訪れた時、信じられない報告を得意満面のW氏から受けました。

「浅井さん、喜んでください。この活動を草地さんが引き受けてくださるそうです。お礼の挨拶に行きましょう」

 草地さんとは草地賢一さんのことで、まさに「神戸YMCAの顔」。この世界の重鎮で、ヴォランティア活動と行政の重要なパイプ役としても有名でした。それだけに異論はありませんでしたが、あまりに強引なやり方に驚かされたのは事実です。

 お会いした草地さんには「若い力で展開していただけるよう」お願いして、僕は活動から身を引きました。

 

 この活動は1995年3月に「震災・活動記録室」として正式に発足し、実吉威氏などの若い力が核となって着実な成長を遂げてきました。

 http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/book/7-11/eqb22_051.html

 1999年10月に「市民活動センター神戸」に改称。そして今では、“災害列島”と化した日本にとってはなくてはならない存在になったのです。

 

 自慢話にもならない自慢話でしたが、最後に、市民活動センター神戸の設立趣旨をご紹介しておきます。

「市民が自発的に課題を発見し、それを市民なりのやり方で解決すること。行政や政治や企業活動を含めた望ましい社会のあり方について、発言し、行動し、仕組みを創りだしてゆくこと。市民には本来そのような力が備わっており、その市民自身の力以外にこの社会を住み良くしてゆく原動力はない」

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