私の人生劇場

青年期

第36回 「てんこ盛り高校生活・3年生編①」

 1965年4月。

 高校3年生でヨシヒコと再び同じクラスになることが分かり喜んだものの、担任になったTには最初の面談の時から相性の悪さを感じました。

「あんたは知能指数が167。学年で一番。しかも入試の成績は抜群。なのに1、2年生の成績は信じられないほど悪い。一体どうしたというのかね?」「東京に家出したと聞いたぞ。何があったかは知らんが、二度目は許されないからな」「まあ、国立は無理だろうが、3教科だけみれば、早慶でもいけそうだな」「家出騒動のこともあってお母さんが話に来られた。美人さんだな」「作文を読んだが、あんたは共産主義か?」

 およそ教育者とは程遠い発言の数々に私は鋭い目つきを向けていたのでしょう。黙って顔をにらみつける私に、Tは、

「もう終わり。いろんなことがあるだろうが、まあ仲良くやっていきましょう。よろしく」

 と言って私に退室を促しました。

浅井久仁臣 Early days 12.jpg

 知能指数と入学試験の成績については一年前にも担任Nに言われたことで、苦い思い出がありました。2生になって最初の面談で、Nから二つのデータを前に〝怠け者の代表〟のような言われ方をして腹を立てた私は、その後行われた同様の能力試験をふざけて記入。当然のことながら私は職員室に呼び出されました。

 Nは私の顔を見るなり、「お前、○○○○か!」とある病名を言って叱責します。そう言われたら黙っていません。それは1年生の同級生から「交通事故がきっかけで○○○○になった」と聞いていたからです。「僕がふざけて試験を受けたことを叱ればいいじゃないですか。○○○○か!などとその病気持ちをバカにした叱り方をするのは教育者としておかしい」と抗議したのです。

 それに対してNは「口の減らん奴だ」と呆れた表情でぐだぐだと長時間説教してきました。

 

 そんなことが一年前にあったので、Tに言われても「話し合っても無駄。言わせておけ」と自分に言い聞かせ、「数字に縛られた教育者とは名ばかりの粗末な人間。学問を、本質を教えろよ。教育者なんだからこちらがぐうの音も出ないような受け答えができないものか」と思って見下していました。

 Tの言う作文とは、一学期の初めに自由テーマで書かされたものでした。当時論争を巻き起こしていた「ナイキミサイル配備の是非」について書いたのがTのお気に召さなかったようで、その後行われた授業で「浅井君は反対しているが……」と、わざわざ私の名前を出してその兵器導入の必要性を口角泡を飛ばして力説しました。「共産主義者!」「アカ!」というのは、国の考え方に対して異論を呈する人たちに対して意見を封じる時に使われる差別用語でした。

 Tの、相手に放つねちっこい視線、差別的表現や悪口を多発するゆがんだ口元、女子生徒へのまとわりつくような接し方……それら全てに嫌悪感を抱いた私は、彼に対して終始反抗的でした。

 

 新学年が始まってしばらく経った頃。女子生徒数名が「T先生ってすぐに手や肩を触ってくる。気持ち悪い」と言うので、生徒議会の議員だった私は、「僕が言って来てやる」と言って職員室に出向きTに面会を求め、「女子生徒が嫌がる行動はやめるよう」申し渡しました。するとTは、

「心外だ。失礼だ。親しみを込めて手を触れたことはあるかもしれんが、卑しい気持ちはみじんもない」

 と気色ばみました。

 「だったら、今度そのことをホームルームで話し合いましょう」と言ってその場を立ち去ろうとする私に、Tは「そんなことは時間の無駄だ。ワタシが許さんからな」と焦って止めにかかってきました。

 Tの〝おさわり指導〟はそれで収まり、私もホームルームの議題にすることはしませんでした。

 Tとの〝戦い〟がそれで終わったわけではありません。

 運悪く、Tは私が大学受験科目として選択する「政治経済」の担当でした。一学期の通知表には、5段階評価の「3」をつけられました。中間、期末共に校内試験では90点以上取っていた私が職員室に抗議に行ったのは当然です。それに対する答えは、「通知表の評価はテストの出来だけではない。授業態度も当然評価の対象だ。あんたは授業態度が悪すぎる。ちゃんと評価されたいんなら態度を改めることだな」でした。

 

 しばらくして、Tとの関係がさらに悪化する出来事が立て続けに起きました。

 その一つは、同じ柔道部に所属したKとの暴行事件です。

 父親が柔道部の外部コーチだったこともあり、Kは我が物顔で威張り散らしていました。そういう父親の威を借りてわがままに振舞う彼の姿に我慢できない私は彼を無視、相手にしませんでした。私が部活動から距離を置くようになっても、「番長グループ」と呼ばれる集団のメンバーであった彼は、やはりその威を借りて何かとちょっかいを出してきました。当然のことですが私は無視し続けました。

 ある日、Kは私をトイレに呼び出しました。

「この前お前に警告したはずだ。なんで俺の言う事を聞かん?踊る(喧嘩する)かあ?」

 と凄むKに、

「殴りたいなら好きなだけ殴れ。俺は喧嘩はしないんだ」

 と私が答え終わる前に、Kは突然顔面に拳を見舞ってきました。

 最悪の事態を想定していたので最初の数発は急所を外させたものの、敵もさるもの喧嘩慣れしているようでパンチが次々に繰り出されてきます。窓を背にしていたのでかわす余裕はなく、サンドバッグ状態でした。

 左目に入ったパンチに気を取られたスキを突き、数発が強烈に私の顔面をとらえました。危うく倒れそうになり膝をつくと、生徒Hの姿が目に入ります。かわいそうに用足しに来たのにとんでもない光景を目にしてしまい、トイレの入り口で腰を抜かしたようでした。「ちょっと待て」と相手を制しました。

「なんだ逃げるのか!」

「見てみろ、Hがかわいそうに腰抜かしてる。外に出してやるだけだ。その後また気のすむまで殴らせてやるよ」

 しかしHをトイレの外に運び出す間に、私の中にKへの怒りがこみ上げてきました。キレていく自分を冷静に見る自分がいますが、もう止められません。そして、

「続けていいぞ。ただ、お前の力は分かった。一発ぐらいは俺からも見舞わせてもらうかもしれんから覚悟しろ」

 と身構えました。

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