第37回 「てんこ盛り高校生活・3年生編②」
(前回のつづき)
にらみ合いがしばらく続きました。私のそんな構えに怖気づいたかKは殴ってきません。
「今日はこのくらいにしておいてやる」
Kは始業ベル(チャイムだったか?)が鳴ったこともあって冷静さを取り戻したのか、その心の動きは分かりませんが、そう言うと私の前から姿を消しました。
トイレから教室に戻ると、私の顔を見たヨシヒコが「どうした?」と近寄ってきました。状況を簡単に説明したところで授業が始まりました。授業中に口の中の出血が止まらず、一回目は飲み込みましたが、胃がむかついて吐き気を催します。教師に断って保健室に行き手当てを受けました。
放課後、職員室に呼び出されました。担任のTと前年の担任Nがあきれ顔で私を迎えました。ふたりに何を聞かれても「転んだだけです」と言うだけの私に、
「Hから大体聞いとる。それに養護教諭からも喧嘩に違いないと報告があった。お前は被害者のようだから悪いようにはせん。正直に何があったか話せ」
と二人が言いますが、私は同じ答えを繰り返すだけでした。教室に戻ると待ち構えていたヨシヒコが事情を聞いてきます。彼にだけはと先ほどの続きを説明しました。
その翌日か翌々日のことでした。
「ヨシヒコ君がMとOにトイレに連れていかれた!」
と同級生が教えてくれました。そのふたりはKがつるんで行動するグループのリーダー格です。ヨシヒコが自分のために何か行動してくれたのかと思いながらトイレに駆け込むと、MとOがヨシヒコの前に立ちはだかり、奥の窓際に追い込んでいました。
「ヨシヒコ、手を出さんでくれ!」
と私が叫ぶのとほぼ同時に、Mの右こぶしがヨシヒコの左顔面に見舞われました。私の言葉にヨシヒコは殴り返すのではなく、ふたりからの攻撃を防ごうとしたのでしょう。右横にあった掃除用のモップの柄を手にしました。
しばらくにらみ合いが続きました。その後殴ってくることはなく、MとOのふたりは何か捨て台詞を言ってその場から立ち去りました。
後に、ヨシヒコは私を殴ったKに対して「くにおみに二度と手を出すな」と体を張って私をかばってくれていたことが分かりました。推測ですが、脅されたKは親分格のMに助けを求めたのでしょう。それを受けてまるでヤクザ映画のようにMとOがいきり立って彼を殴りに来たというわけです。
親友のあまりの熱い友情に私は言葉を失いました。
それまで家族や親戚から、そして教員たちから温かい言葉や態度で接してもらうことがほとんど無かっただけに、彼の体を張った行動はくにおみの心の奥深くまでしみこみました。多くの友人が優しく付き合ってくれましたが、こんなことまでしてくれる友人は後にも先にもヤツだけです。
今でもその時の感動がよく思い出され、ヨシヒコのカッコ良さを妻や息子に何十回どころか100回以上話してきました。
その後Tから聞かされた学校側の処分は、事件を表面化させたくなかったのでしょう、想像していた通りの結果で、Kの停学に留まりました(もしかしたらMにも処分があったかもしれません)。「あんたの態度にも問題があるからな」という担任の説明に反論する気すら起こらず、いい加減に聞いていました。だからその内容はよく覚えていません。ただ、「停学処分といっても登校は許され、隔離された一室で反省」と聞かされ、口には出しませんでしたが〝臭いものに蓋かよ〟と思いました。
担任のTとの関係は二学期に入るとさらに悪くなりました。書き出すと長くなるので詳しくは書きませんが、教育委員会の一団による授業視察の際にTが行なった教師にあるまじき行動に対して〝鉄槌〟を下したり、授業の中で話すあまりに偏りすぎた政治的見解に我慢ができなくて異論を呈したり、とくにおみのTへの反抗はとどまるところを知らず。ふたりの間にあつれきは絶えませんでした。
ただ、教師に恵まれなかったものの、同級生はそれぞれが個性的で性格も良く、誰一人として文句のつけようがない面々。1年間嫌な思い出は何一つなくて、小学校から数えて12年間で最も素晴らしい仲間たちとの日々だったと言えます。
進路については迷いに迷った1年でした。家出作戦に失敗したものの岡村昭彦への師事を諦めきれないくにおみは、出版社を通して彼に何度か手紙を送るなどして弟子入りを目指しました。しかし、戦争取材に忙殺されていたのでしょう。超売れっ子の岡村から返事がくることはなく、弟子入りはあきらめざるをえませんでした。
再び大学受験の道を歩み出したものの身が入らずに不合格。その後一年間浪人します。もちろんくにおみの浪人生活です。平凡な形で終わるはずはなく、様々なエピソードが生まれました。
【この回を〆るにあたって最後にここでひとつ書き加えておきたいことがあります】
知能指数の高いことや入学時の成績の良さを強調しました。これは、「自分の能力をひけらかしている」と皆さんに不快感を与えかねない、誤解をさせかねない書き方です。
でも、私がここであえてそれを強調したのは、くにおみの周辺の大人が見せた、個性や才能を伸ばすのではなく、逆に教育とは程遠い「出過ぎた杭を打つ」やり方に強い抵抗感を抱くからです。特に「昔の自分の置かれた環境」を余裕をもって俯瞰できたり子どもや若者を指導する立場になった今、私には「くにおみをこんな風に導いてやれば、今頃はこうなっていたのでは?」という現在とは違った光景が想像できます。
そうすると、誰か豊かな見識と鋭い洞察力を持った方が、マグマのような底なしのエネルギーを持つくにおみの好奇心を受け止めて、禅問答のようなやり取りの中から導いてくださっていたら……などと考えてしまうのです。結果的に、同調圧力が強くて厳しい環境が私のやる気を引き出し、それをエネルギーに変えていったから良かったのではないかとの見方もできるでしょうが、周りのおとなたちが余裕をもって私を導いてくれていたら、もっと社会の役に立つ指導者が生まれたのではないかと思ったりするのです。
そんな思いがあってあえてこのような刺激的な書き方をしてみました。ご理解ください。そして、これを読んだ皆さんがここから何かヒントを得て、今後後進の育成や教育、子育てに活かしていただければ嬉しいです。